さきの日記

書く練。別名マドレーヌさき。

毒親育ちの私がタロットを始めた理由。

ブログを始めるにあたり、占いについて語るのが妥当だとは思いつつ、何を語ればいいのかさっぱりわかりませんでした。

勉強中の身で、書いたことが間違ってたらどうしよう。

語れないなら、占いもやめるべき?とも思いました。

ですが、ある方から「成長期を書いてみては?」と言われ、それなら溢れるように出てくるぞ!と気づき、書くことにしました。

 

まず、私はスピリチュアルや霊感はよくわからないし、感じたことはあるようなないような。というくらいの一般人です。

いわゆる毒親の元で育ち、何をしてもダメだしされ、自分の気持ちには自信が持てませんでした。

殴る蹴るまではいかなかったけど、笑いながら頭をはたかれることはあったかな。

そんな中で、自分を守る世界は本でした。

絵本から始まり、漫画、物語、そして小説。

本を読んでいる時だけは何も言われませんでした。

本の中では、人を信じたり裏切ったり、それでも立ち上がろうと奮闘するキャラクターがたくさんいました。

特によく読んだのは、吉田秋生さんの「BANANA FISH」、日本橋ヨヲコさんの「極東学園天国」、高里椎奈さんの「薬屋探偵妖綺談」から新本格ミステリ系にハマりました。

 

人との繋がりってなんだろう。

自分の気持ちってなんだろう。

 

ずっと探していました。

やがて信頼できる人と結婚し、子どもが生まれ、息苦しさを感じるようになりました。

子どもに「好き」「愛している」と言えないのです。

言おうとすると心が苦しくて、涙が止まりませんでした。

小さい頃の自分が「ずるい!」と泣きわめいていました。

 

それから10年近く経ちました。

泣きながら周りの人に頼って、ようやく10年。

子どもを抱きしめてたくさんよしよしすると、子どもも笑顔になるし、私も満たされるようになりました。

でも、子どもが学校に行き渋ることが増えてきて、ふと思いました。

 

ぐるぐる悩んで落ち込む時間をどうにかしたい。

 

それと同時に、子どもに合わせて仕事をセーブしたので、平日は有り余るほどの時間を持て余していました。

だったら好きなことをしようと思い立って、すぐに購入したのがタロットでした。

 

まずタロットで子どもや私の関係性を良くしたいと占いました。

タロットは「これをやらないで。そうしたら楽になれるよ」とだけ。

心の奥底でそれをしたいと感じていたけれど、できないと思っていたことでした。

自分だけでは「できない理由」を探してしまうけど、神様の言葉なら信じてみよう。

それから、少しずつ自分の感情をコントロールできるようになり、私が変わったことで子どもたちも変化していきました。

 

これをスピリチュアルとしてしまえば、とても簡単です。

でも、違う。

どんなカードを引いても、私はここにたどり着いたのではないかと感じました。

 

それからタロットの本を読んだり、インターネットで調べていくうちに、ある考え方にたどり着きました。

 

神様の言葉は自分の本音である。

そして本音に従うことが生きることが楽になる秘訣。

 

人には潜在意識(自覚していない意識、気持ち)が95%あると言われています。

そして集合的無意識(1つのグループの中で共有される空気感のようなもの)の中で生きています。

なかよしグループで「あなたはいつも優しいね」と言われ、「?」と引っ掛かりながらもいつも通りの「優しい私」でいることってありませんか。

本当に一瞬だけの小さな違和感なのでスルーしてしまいますが、これは潜在意識が発した小さな信号なのではないかと思います。

(潜在意識と顕在意識の間の中間意識というものもあるので、それかもしれません)

タロットを使うと、そこにいるのは自分とカードだけなので、この違和感に気づき言語化できるのです。

タロットを通して、なんのしがらみのない本音を本人が語り始めるのです。

それがカードが語りかける、占いが当たるの本当の理由だと思います。

「私が優しいのは、好きな人たちにだけだよ。それじゃ足りないのかな。みんなに分け隔てなく優しくしなきゃ」という信号を「あなたの思った通りでいいんだよ」と言ってくれるから神様の言葉のように感じるのではないかと考えます。

(もちろん目に見えない何かを感じて占う方を否定しているわけではありません。私もそういう方にぜひ占ってもらいたい!)

 

占いを必要としない人は、自分の本音をそのまま受け止めて発信できる人です。

私のように自分の気持ちを否定され続けると、本音とは鎧のない生身の体としか思えず、とても無防備で怖い状態です。

生育環境だけでなく、学校や部活動、社会でそう感じるようになることも少なくないでしょう。

そんな方々に「大丈夫、それでいいんだよ」と言ってあげられるように、私はタロットをツールとして使っていきたいと今勉強しています。

特に親子関係で悩んでいる親御さんも、お子さん、学校に行けないことを負い目に感じるお子さん、行かなくていいと言ってほしいお子さん、自分の育て方が悪かったのかと悩む親御さん。

私たち親子もそうです。

本音を言っていいんだよ。

ちゃんと仲間はいるよ。

カフェでお茶をするように、気楽に私のところでタロット占いをしてみてください。

私はそんなあなたと話がしたい。

 

~Madeleine~ さき

お星さまの洋服を10着ほど持ってみましたが、実際のワードローブはいまだにしっくりこないのはなぜ。

西洋占星術ってご存じですか?

と聞かれると、なんとなーく火星がどうとか、金星がどうとかっていう占いよね?と思われる方が多いかと思います。

もう少し詳しい方はホロスコープでしょ?読み方はわからないけど。と言う方も多いかも。

はい。私です。

 

西洋占星術とは、生まれた時に空にあった星で個人の性格や好みの傾向がわかっちゃう学問のことだと私は感じています。

 

もう少し身近なところで、テレビや雑誌でよく見る星座占いは西洋占星術の中の一つです。

星座占いは生まれた時の太陽がどの星座の近くにいたかで決まります。

でも、星座占いでこれは当たってない気がすることってありませんか。

やぎ座は忍耐と努力という言葉がよく出ますが、ちゃらんぽらんですぐにあきらめるやぎ座もいますよね。

はい。私です。

 

これってどうしてだろう。

 

と、いろんな本を読んでもよくわからないし、難しくて挫折しそうなときに出会ったのが

ホロスコープをスイスイ読めちゃう講座 チーム・マイプラネットマップ

という講座でした。

ちなみに無料です。

 

この講座で学んだことは、太陽を使った星座占いは洋服の一つという考え。

それに、理科で習ったことのある水金火木土天海冥という洋服も持っているのです。

それにそれに、月の洋服もあります。

ですがパジャマで学校や仕事に行くことってなかなかありませんよね。

だから月の洋服を着た自分と太陽の洋服を着た自分は、同じ自分でも違います。

その違いが、太陽を使った星座占いに違和感を持つのです。

 

でも、必ず太陽の洋服がしっくりくる自分は必ずいます。

しかも「これ以外ない!」と思うほど自分らしくて着心地がいいのです。

ちゃらんぽらんですぐにあきらめるやぎ座の私も、忍耐、努力をそれと感じずに勉強を続けているのは、太陽の洋服に袖を通せたからかも。

そんな風に感じるのです。

もし、自分ってどんな洋服もってるの?と気になった方は、遊び感覚で講座を聴いてみてもいいかも。

 

mp.noplanetnolife.com

 

そんな、お星さまの洋服を10着ほど持ってみましたが、実際のワードローブはしっくりこないさきるでした。

音読はつらいよ。

私には小学校の子どもがいる。

男の子ふたりで、上の子はいわゆる長男長女タイプ、下の子はちゃっかりタイプ。

宿題はできるだけやりたくない、どこにでもいる普通の子たちだ。

 

そんな彼らがすんなり取り組む宿題がある。

それは、音読。

小学校の教科書ってビックリするくらい変わっていないので、私が小学生だった30年ほど前とほぼ同じ内容。

ちなみに光村図書さん。

読書大好き少女だった私のバイブル。

1年生の教科書に載っている「はなのみち」では未だにくまさんは袋に穴が空いてることに気づかないし、3年生の「モチモチの木」ではじさまもご健在。

30年の時を経て往年のスターたちが勢揃いしているのだ。

 

そんな中、確実に30年前と違うのは、まず音読をする側から聞く側になったこと。

読み手には2つのタスクがある。

目で文章を追って、言葉にする。

これはだいぶ集中力がいるので、実は思ったより内容が入ってこないように感じる。

そして聞き手のタスクはただ1つ。

聞くのみ。

なんなら強制的に耳に入ってくる。

そう、強制的に「ずうっと、ずっと、大すきだよ」のエルフは死んでしまう。

スーホの白い馬」の馬も死んでしまう。

「一つの花」のお父さんも亡くなってしまう。

「ちいちゃんのかげおくり」に至っては家族全員亡くなってしまう。

読書大好き少女のバイブルは、聞き手に回るとここまで残酷だったのか。

懐かしくて楽しみだった音読の時間も、物語によっては毎日気分が落ち込む時間になってしまった。

それでも子どもが

 

「『お手紙』に出てくる、がまくんとかえるくんが好きなんだよね」

 

と言うと、小学生の私が嬉しそうに頷くのだ。

子どもたちに、がまくんとかえるくんのような一生物の友だちができますようにと祈らずにはいられない。